4年間の旅の最終国 カバン丸ごと盗まれても嫌いになれないジンバブエ

4年間の旅の最終国 カバン丸ごと盗まれても嫌いになれないジンバブエ

2014年1月から4年間、1度も日本に帰らずに続けてきた旅も、2018年3月ここジンバブエで最終国となりました。友人達と夕食を食べている間に、車の窓ガラスを割られ、パスポートやパソコン、カメラなどサブバッグ丸ごと盗まれちゃった出来事も今では良い思い出。

でもでも、このたった1つの小さな事件だけで個人的にジンバブエが危険な国だとは思いませんし、この国を嫌いになることはありませんでした。それはこの国で出会った素敵な人々のおかげかもしれません。

ジンバブエってどんな国?

この4年間での旅で最後に訪れた国はジンバブエ。温かい人々に囲まれてのんびりと過ごしました。見知らぬ人同士でも冗談を言いあったり、街を歩けば声をかけられ、フレンドリーでオープンで温かく楽しい人達だなと印象を持ったジンバブエ。

ジンバブエと言えばどんなイメージでしょうか?独裁者ムガベ大統領?ハイパーインフレでお札が紙切れのようになってしまった事?いったいどうしてそんな事に?と、気になったので少し調べてみました。

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第一次世界大戦後、現在のジンバブエがあるエリアはイギリスの植民地となり「南ローデシア」と呼ばれていました。植民地という扱いであったので、国土のほとんどは白人の土地に。

しかし、1960年代から不満を持った黒人達による独立運動が本格化してきます。アパルトヘイトのような人種差別政策を推し進める政府に対し、黒人側も黒人国家の樹立を目指しゲリラ戦を開始。

後に大統領となるロバート・ムガベは、この時期に黒人解放組織のリーダーとして頭角を現します。そして戦争終結後、1980年に彼が大統領に就任します。

ムガベ大統領は当初こそ黒人と白人の融和政策を進めていきました。しかし彼は2000年に、白人の権利を剥奪していく政策を進めます。その中でも最も有名なのが、白人が所有していた農場を強制的に取り上げ、黒人に分配し始めた事。

ジンバブエはかつて白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われており、「アフリカの穀物庫」と呼ばれ経済的に安定していました。しかしこの政策により白人農場主が持っていた土地が黒人の手に渡る事になります。

今までの白人による農業技術が受け継がれることなく失われ、大規模農場経営の経験がない黒人農場主により基幹産業である農業が崩壊。そして経済状況は極度に悪化。世界最悪とも言われるハイパーインフレーションが起こってしまいます。

そのインフレーション率は1000%にもなっていきます。2008年5月に1億と2億5000万の額面のジンバブエ・ドル札が発行され、50億、250億、500億、1000億ドル札の発行と続きました。

その後通貨切り下げが行われましたが安定せず。2009年にはジンバブエドルの価値は、250億ジンバブエ・ドル=1米ドルとまでなってしまいました。10000000000ドル=50円ぐらい?というとんでもない状況に。

クーデターにより、そんなムガベ大統領の長期政権に幕が下りたのもつい最近の2017年11月です。それまで37年間も独裁政権を維持し続けるとは、就任当時に誰が想像できたでしょうか。

私がジンバブエを訪れたのはクーデター直後の2018年2月。ジンバブエにとって大きな転機となるであろうというタイミングでした。

ジンバブエ第二の都市ブラワヨ ホームステイしながら楽しく生活していたのに、事件が発生!

南アフリカを出国し、ジンバブエにやってきました。最初に訪れたのはジンバブエ第二の都市ブラワヨです。カウチサーフィンで約束していたヨウカイとピクチャー兄妹に連絡し、彼らの家にホームステイさせてもらっていました。

クーデター直後にジンバブエに来たこともあり、町中が緊迫した雰囲気ではないのかと心配していましたが、町は平和そのもの。人々の顔は笑顔にあふれ、陽気な感じさえします。あれ?意外と普通だ。

町を歩いていると「どこから来たんだ?ジンバブエは好きですか?」と声がかかります。多くの人が英語を話せるのでコミュニケーションをとるのは簡単。すこし会話をして仲良くなると「一緒に写真を撮りましょう」と言われ、何回も色んな人と一緒に写真をとったり。

ビジネスマン風の人と話しているとたびたび「日本ではトヨタやホンダの車を安く買えるんだろう?中古車販売のビジネスを一緒にしよう。車の部品も輸入して売るんだ。絶対うまくいくから!」と何回も誘われました(笑)

町を歩いていて興味深かったのは人々の名前でした。私が「名前は何ですか?」と聞くと、「クワイエットです。ハピネスです。」と・・・?「Quiet?」「Happiness?」冗談のようですが本当です。なぜか名前が英単語の人もたくさん。

さらに「Tanakaです」「Murataです」・・・んん?日本語?なぜか日本風の名前を持っている人も。話を聞いていると日本語とショナ、デンべレ語の発音はすごく似ているのだとか。

さて新しい国に着いて、最初にすることと言えば現地通貨の調達です。いつも通りATMに行ってお金を降ろそうとすると、どの銀行にも長蛇の列が。そしてようやく自分の番になって、お金を引き出そうとすると何回やっても引き出せません。

自分のクレジットカードに問題があるのかと思いきや、何とATMにお金が入っていないそうです。やっぱり普通じゃなかった。南アフリカランドとUSドルを持っていたので、カウチサーフィンのホストの友人の両替屋さんに頼んで、現地通貨「ボンド」を手に入れました。

ジンバブエ・ドルは、例のハイパーインフレーションにより価値を失い、2015年に廃止になっていました。私が訪れた2018年2月時点では主に米ドルと、新通貨「ボンド」が流通していました。

経済崩壊した国、クーデター直後の国という事で、どんな感じなんだろうと思いながら町を歩いていましたが、市場は賑わっており、人々はレストランで食事を楽しみ、ショッピングモールでショッピングを楽しみ、スーパーマーケットにも商品が揃っています。

さて夜ご飯はカウチサーフィンで自宅に泊めてくれているピクチャーとヨウカイ、彼らの友人ティナシェも加えてジンバブエ料理を食べに行きました。ピクチャーは市役所勤務。ヨウカイは品質管理マネジャー。ティナシェはドクター。

ヨウカイに、「日本語でヨウカイの意味は、お化けのような怪物だよ」と教えてあげると、すごく面白がって喜んでいました。さて、ジンバブエ料理。

「ジンバブエに来たからには、サザを食べないとね。ジンバブエ人の主食よ。トウモロコシの粉をかき混ぜながら煮詰めて作るのよ。そして定番のラリッシュ(ホウレンソウとピーナッツバターを混ぜた料理)。これに牛か鶏肉か豚肉のシチュー。」

このような定食がジンバブエの定番だそうです。サザの他にもご飯もたくさん食べるのだとか。定食屋に行くと、通常ご飯かサザか選ぶことができます。

ご飯の場合はスプーンがついてきますが、サザの場合は通常は手で食べます。サザができたてなので火傷するぐらい熱いっ!けど手で食べます。

彼らとジンバブエの政治やインフレーションについて話をしていると「2008年頃が最悪だったなー。お店の棚に全く商品がなくなったよ」「大統領もムガベから変わったし、これからは経済も上向きになることを願っているよ」と、これからのジンバブエに希望を抱いているようでした。

彼らとはすごく仲良くなり、毎日のように一緒にいました。バーでビールを飲んだり、バーベキューを楽しんだり。

バーベキューの時もやっぱりサザと一緒に食べます。

次の日の夕食は少し奮発して、白人居住地区のショッピングモールにある少し高級なレストランへ。ここでは今まで町の中心部では全く見かけなかった白人の人々を多く見かけました。彼らはめったに町の中心部へは来ないようです。

ジンバブエでは植民地時代の名残からか、白人の住んでいる地域と黒人の住んでいる地域がはっきりと分かれています。スーパーマーケットの商品の価格まで違い、白人居住地域の方が価格が少し高くなっているほどです。

彼らの家は大きく、庭付きプール付きも少なくありませんでした。南アフリカでもそうでしたが、嫌でも白人と黒人間での経済格差が垣間見えます。

白人エリアのショッピングモールの駐車場にはセキュリティもいて安心安心。美味しかった夕食を終えて、車に戻ると・・・んん?なにこれ?車の窓ガラスが割られているー!!!

ジンバブエのゆったりとした雰囲気に油断して、コンピューターやカメラ、パスポートが入ったサブバッグを車の中に置いてきたことを思い出す。やっぱり当然のように盗まれていました。友人のコンピューターも同じく盗難の被害に。

セキュリティもいたのになぜ?と思いセキュリティの方を見てみると、おじいちゃんだし。銃持ってるけど頼りなさそう。とりあえず警察に連絡し事情聴取を受け、警察署へ直行。パスポートの再発行と旅行保険の申請に必要な盗難証明書を作成してもらいます。

信じられないけれど、起こってしまったものはしょうがない。翌日の朝、首都ハラレにある日本大使館に電話。必要書類を確認し、すぐにハラレに向かいました。

パスポート再発行のために首都ハラレへ 

運よくホストのヨウカイも友人の結婚式のために、ハラレに行く用事があったので一緒に車に乗せていってもらいました。到着後は早速日本大使館に直行。

「盗難にあって、パスポートも盗まれてしまって」「それは大変だったねー。早速手続きを始めましょう」と親切な大使の方。

大使館の方によるとパスポートを再発行するか、帰国のための渡航書を発行するか選べるとのことでした。私は旅を続けるつもりだったので再発行をお願いしました。再発行まで3週間ぐらいかかるそうで、発行されれば連絡しますとのこと。

再発行のために住民票と身分証明書(運転免許証やパスポートのコピー)が必要でした。住民票に関しては、とりあえずはコピーの写真でよく、日本に帰国後オリジナルを大使館あてに送付しました。それに正確な金額は忘れましたが、100USドルほど再発行に必要でした。困ったのが、このUSドルの調達。

よりによってジンバブエ。銀行でもATMでもUSドルを手に入れることはできません。そこで使ったのが「Western Union」です。手数料は高いですが、即日で現金を手に入れることができます。緊急事態という事で、両親にお願いしてUSドルを送金してもらいました。

この時知らなかったのですが、移民局にもパスポートを紛失したことを連絡しなければなかったようです。大使館発行のレターで十分かと思っていましたが、移民局に連絡していない事が原因で、ビクトリアフォールズの町、ジンバブエとザンビアの国境にかかる橋を見に行った時に逮捕されました。

ちなみにですが、ハラレの日本大使館に日本語の本やマンガまでたくさんあり、ハラレ滞在中読書しながら楽しめました。本のレンタルもされているので、ハラレを訪問の際はぜひ立ち寄られることをおすすめします。

さてすべての手続きを済ませて、ヨウカイに合流。結婚式のためのヘアーセットをしているという事で、美容室で待ち合わせすることに。ここでジンバブエの女の子の髪の毛の秘密を知ることに。

ヨウカイに美容院で会うと彼女は全く違うアフロ風の髪形に。どうやってあんなにストレートの髪の毛からいきなりアフロに???と不思議に思っていたのですが、謎がとけました。

彼女たちは基本的にチリチリのすごく短い髪の毛をしている。そこにウィッグをつけたり、エクステンションを編み込んで、紙質に関係なく自由自在に髪形を変えているのです。そこでこちらもウィッグでアフロ風の髪形に変身!

数日後、思い出したのがレソトで出会ったジンバブエ出身のシンバ。「ハラレに来ることがあれば連絡してくれ」と言われていたのを思い出し、連絡してみる。すると彼も家に泊めてくれるという事で、しばらくお邪魔することに。

レソトで数十分話をしただけなのに本当にありがたい。10日間程彼の家族と一緒に過ごしました。すごくかわいかったのが、シンバの娘エイミーちゃん。まだ小さいのに英語ペラペラでダンス好き。家に滞在している間はずっと一緒に遊んでいました。

彼らはキリスト教カトリックの信者なので、日曜日には教会にも連れて行ってくれました。牧師さんの説教もあるのですが、メンイは歌と踊り。まるで映画「天使にラブソングを」の世界でした。

シンバの家にはマンゴーの木があり、お腹が空けば木からマンゴーをとって食べていました。ビックリしたのがこちらの人はマンゴーを皮ごと食べること。どうやら皮ごと食べると消化に良いと言っていました。本当かな??

さてカバンを盗まれて、困ったのがサブバックがない事。大きなカバンを常に持ち歩くわけにもいかないので、ハラレ観光ついでに、バザールにショッピングしに行く事に。ただ物品のバリエーションが極端に少なく、値段も高い。国内に産業が少なく、ほぼ輸入に頼っているからそれはそうか。

聞くと皆さん、買い物には南アフリカに行くことが多いようです。ちなみに南アフリカの方が、ジンバブエより物価は安かったですよ。ただジンバブエの中古衣料品は安くて良いものがたくさんありました。ジンバブエで買い物なら中古衣料品がおススメです。

次はお寿司でもシンバ家族に作ってあげようと、スーパーマーケットに。そこで怪しい男に声を掛けられます「買い物終わり?現金で払うつもりなの?あなたの分を電子マネーで払うから、現金と交換してくれないか?」と。

特にこちらが損をするわけでもないので承諾。どうやら現地の人たちでも現金を手に入れることが難しいようです。いつも銀行やATMの前には長蛇の列ができていますからね。小さなお店やバスに乗るときなどは現金が必要だから困るのでしょう。

ハラレの国立美術館にも足を運んでみました。興味深かったのが前政府に対してのデモンストレーションの展示でした。政府に対するデモンストレーションというと、参加者は怒り、不満をぶちまげながらながら行進するというイメージでした。

しかし当時の様子を写した写真を見ていると、行進に参加している国民がみんな笑顔で嬉しそうな顔をしています。デモ参加者が楽しそうに軍人と握手をしたりしている写真もありました。

ここから今回のクーデターに対し国民が前向きであることや、ジンバブエの人々の気質を感じることができます。こっちだってパスポートやカメラやコンピューターが盗まれたって気にしないし、前向きに。所詮はただの物だし。また買える。特に大切なものではない。

3週間もあるから、モザンピーク国境沿いの町ムタレへ

ハラレにしばらく滞在した後、ヨウカイがムタレに住む友人ムニャを紹介してくれました。ジンバブエでは一人の人と知り合いになると、その家族、友人を訪ねてジンバブエ中家に泊めてもらいながら、旅ができてしまいます。

ハラレからヒッチハイクを開始しピックアップしてくれたのが彼。建築関係の仕事をしているそうです。ムタレまで直行で連れて行ってくれました。

ムタレはモザンピークとの国境沿いにある町。ほぼ平地のジンバブエで唯一山があるエリアです。町のサイズはハラレやブラワヨと比べると、かなり小さくなります。

路上には市場があります。お気に入りはアボカドやマンゴー。ジンバブエ産なので安い。そしておいしい。

残念ながら雨期の時期で基本的に天気が悪かったので、あまり外出せず家でゆっくりさせてもらっていました。ネットフリックスを見たり、ユーテューブを見たり。

この時期です。このまま旅を今と同じスタイルで続けたいのかを考え始めた時は。もう色んな場所を4年間も旅行して、旅のノウハウも確立されてきて、どこでもいける自信はあるし、飽きてきたわけではないけれど、旅に疲れてきていたのは確かかもしれません。

旅で仲間ができても数日間だけ一緒にいて、さよならを繰り返す人間関係にも少し嫌気がさしてきていたのかもしれません。もっと深く現地に根をはるように旅がしたいなーと感じ始めたんです。何か変化が必要な時期にきていました。

ちょうどスペインやチリ、アルゼンチン等のスペイン語圏でワーキングホリデーが開始されたこともあります。自分の年齢も計算し、旅は後でもできるからとりあえずゆったりスペイン語を学びながら、ワーホリでどこかに長期滞在しようと。

そして日本帰国のチケットを購入。またアフリカには戻るし、旅が嫌になったわけではないのですが、このまま旅を続けるよりも、スペイン語圏でワーホリをする方に、より魅力を感じ始めたのです。カバンを盗まれたのは、それを知らせてくれた良いサインだった。

色々考えながらも、ムタレ滞在は楽しみました。ムニャがビリヤードに連れて行ってくれたり、ディスコに踊りに連れていってくれたり。ディスコでジンバブエ人たちのお尻を使った激しいダンスにはついていけませんでしたが。

また、ここで初挑戦したのがジンバブエ料理「マドラ」です。日本語で言うと芋虫。サザに芋虫のプレート。勇気を出して芋虫を食べてみると、カリッとして意外とおいしかったですよ。

これから食料不足になって、飼育が簡単で栄養価の高い昆虫を食べ始めるようになるかもしれないという学者もいるくらい。マドラはまさに時代を先取りしたような料理です。

ジンバブエで最後に感動 すごかったビクトリアの滝

もう怠けに怠けて、見に行かなくてもいいかなーと思っていた、ビクトリアの滝。最後の力をふりしぼって見に行って来ました。

ビクトリアの滝の観光拠点となるのは、ザンビアとの国境沿いにあるビクトリアフォールズという小さな町です。ビクトリアの滝があるので、町はかなりツーリスティックな感じです。

町の中心には旅行会社やホテル、レストランが至る所にあります。私はブラワヨで家に泊めてくれていたピクチャーの親戚の人の家に泊めてもらっていました。

町を歩いていると、お土産物を販売している人々によく声をかけられます。彼らは象やキリンの置物を販売したりしているのですが、それに混ざってかつての「ジンバブエドル」をお土産として販売している人々もいます。

かつての経済崩壊のシンボルのような「ジンバブエドル」を、逆にビジネスに変えてしまうとは、何とたくましい。

町の中心部からビクトリアの滝までは徒歩で行けます。入り口で30USドルを支払って入場。

ビクトリアの滝は見に行く価値があります。今までにこんなでっかい滝を見たのは初めてで、感動しました。ごおおおぉと唸るように流れていく滝。その水しぶきは、まるで雨が降っているかのように錯覚するほどでした。

ビクトリアの滝の水量は時期によってかなり差があるようです。水しぶきが凄くてよく見えなかったり、水量がなくショボかったり。

私が行った時期は2月末でした。違う時期に行っていないので、何とも言えませんが、水量は中間ぐらいだったんじゃないかと思います。

滝から離れた場所からは滝の姿がよく見えましたが、滝に近づいていくにつれて、水しぶきが凄くてびしょ濡れになりながらの観光でした。観光にはサンダルやカッパ、濡れてもよい服で行かれることをおすすめします。

感動したのは滝に虹がかかったとき。日本帰国前の良いお土産になりました。

その後は、ザンビアとジンバブエの国境間にある橋を観光しに行きました。国境にある橋なので、ジンバブエ側のイミグレーションで、特別な許可を得なければなりません。通常ならば簡単な手続きで済むのですが、パスポートを盗まれて持っていない自分。

イミグレ:「パスポートを出して」
私:「パスポートを盗まれて持ってないんです。でも盗難証明書と日本大使館からのレターがあります。」
イミグレ:「ちょっと待ってて。君あやしいね。ちょっと中に来てください。話を聞かないと。」
私:「いやいや。そんなめんどくさい事になるなら、橋なんて見に行きません。さよなら。」
イミグレ:「ダメです。とりあえず中に来てください。」

こんな面倒な事になるなら、ただの国境にかかる橋なんて見に来なければよかった。「大使館に電話すれば、自分の言っている事が本当だと分かるでしょ?」と言っているにもかかわらず、大使館には全く電話せず、そのまま3時間拘束されました。

そして「5日以内にハラレの移民局まで行って手続きを行ってください」と言われてしまいました。このせいでまたハラレに戻らないといけないことに…。パスポートもないのに自ら国境に問題を作りに行った自分がバカでしたが、そこまで大きな問題にならずによかった。

結局その後ハラレまで戻り、移民局に行き手続き。ハラレから南アフリカのヨハネスブルグまで行って、飛行機で日本に一時帰国しました。

長いようで、すごく短かった4年間の旅も遂に一時中断。

おわりに

個人的にサブバッグを丸ごと盗られた事は特にショックではありませんでした。逆にこの4年間、多少の無茶もしてきて何も起こらずに幸運だったので、1度くらい悪い出来事も起こるだろうという感じです。

おかげでこれからどうするか、何がしたいのかゆっくりと考えることもできました。この出来事が起こったおかげで、今アルゼンチンにワーホリビザで滞在しています。何事もポジティブにとらえていきましょう。

しかしアフリカ縦断の旅を中断してしまったのも事実なので、南米を旅してまわった後は再びアフリカの大地に舞い戻りたいと思っています。

 

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