真冬のキルギスタン 田舎でホームステイ生活してきました

真冬のキルギスタン 田舎でホームステイ生活してきました

英語と日本語の先生をしながら滞在していたカラコルにも別れを告げ、キルギスタンの田舎生活をのぞきにナリン方面に向かってヒッチハイクを開始。正確な行先などはまったく決めずに。

とりあえず行ってみたかったナリン方面にのんびり進んでいこうと。暗くなってきたら近隣の村で、少しお金を払ってホームステイさせてもらえばいいやという考えでした。

そして気に入った場所でしばらく滞在できればいいなーと。そして偶然の出会いからミラクルが起こった。

タクシードライバーのシェペと偶然の出会い

カラコルを出発しナリン方面へ。計画はヒッチハイクしながら気に入った場所を見つけて、キルギスの田舎でホームステイをすること。12月の真冬だったので、ヒッチハイクするのにもめちゃくちゃ寒かったです。

JICAで長期滞在している隊員の方々に計画について尋ねても、「キルギスの人たちは優しくて、見知らぬ人でも家に招待してくれる文化があるから、たぶん大丈夫」だと。これは心強いお言葉。

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1日目はどこかイシククル南海岸で1泊したいなーと思い、カラコー(Kara-koo)付近でストップ。村に入っていって村人に「今夜泊まる場所を探しているんですけど、どこか知りませんか?」と尋ねてみると、「こんなに寒い中歩いてないで私の家に来なさい」と、こころよく家に招待してくれました。

キルギスタンでは大家族で一つ屋根の下に住むのが普通。おじいさま、おばあさまも赤ちゃんも、みんなで一緒にご飯を食べます。寒い冬でも家族一緒にいると温かい。炊き込みご飯にサラダにパンにご馳走でした。

翌日お世話になった家族に別れを告げ、ナリン方面にヒッチハイクを続行。ソビエト連邦時代からある、ロシア製の車ジグリやラダを乗り継いで、美しい湖や山間部を通り抜けていきます。ありがたいことに途中またまた家に招待されましたが、ナリンに到着したかったので今回は行かず。

そして無事にナリンに到着。しましたが、大きな町であまり好きじゃないかも。こんな大きな町ではホームステイも頼めないしなー。ということで、思い切ってさらに南の方向に進んでみることに。

そしてヒッチハイクしていると、1台のタクシーが泊まる。ホームステイができる場所を探していることを、身振り手振りとグーグル翻訳で何とか説明すると、「よしそれなら家にしばらく泊まっていきなさい」ということに。

彼らの家はカラスという小さな村にあるようです。運良くヒッチハイク中にしばらく家に泊めてもらえる家族に巡り合えたのは、いつもながらかなり幸運でした。

ナリン州カラス村でホームステイ

ヒッチハイク中に出会ったお父さんの名前はシェペ、仕事はナリンやカラス付近でのタクシードライバー。お母さんの名前はチャナラ、彼女はいつも笑顔で優しいお母さん。息子のアドゥ、家族想いの優しい子。娘たちの名前はアディナとアリタ、元気で笑顔がかわいい長女と恥ずかしがりの妹。

突然訪ねてきて家にしばらく滞在することになった私を、彼らは大歓迎してくれました。コミュニケーションをとるのが難しいけれど、グーグル翻訳(ロシア語)が活躍。シェペが卓球好きで卓球台が車庫にあったので、毎日卓球をして遊んだり。

ホームステイしていたカラス村はナリンから50kmほど南西に位置します。村から見える山々は壮大で美しく、それぞれの家庭が馬、牛、羊、山羊、鶏、七面鳥などを飼っていて、放牧は村人達で協力して行っています。村にはポンプ式の井戸があり、飲み水はそこから汲んでくる。

カラス村の標高は高く山に囲まれているため、気温が日中でもマイナス9℃の日もあって、めっちゃ寒かったです。夜になると-10度や-15度にもなります。

頭を冷やすと良くないというのは、彼らの共通理解になっているらしく、帽子をかぶっていないと村人から「何で帽子をかぶっていないんだ?頭を冷やすと体に良くないぞ!」といつも注意されます。

家庭の食べ物は畑でとれたジャガイモと自家製パンが主流。家の地下倉庫には大量の玉ねぎやジャガイモが保存してありました。彼らが所有している牛から搾った牛乳で作ったバターや、カイマックなどの乳製品もたくさん。

朝ごはんはパンにカイマックをつけて食べるのが定番。とろーりとして甘みがあるクリームチーズのような味のカイマックはパンとよく合います。温かいミルクティーも大量に用意してあり、1日20カップぐらいは飲む。

カラスよりももう少し西のタシュラバットまで行くと、ヤクをたくさん飼っているそう。家を訪問しに来たお客さんが持ってきたヤクの肉を食べさせてもらいました。馬肉も食べさせてもらい、羊の肉よりも臭みがなくおいしかったです。馬の肉は大切なお客さんをもてなすときに食べるのだとか。

何度も一緒にキルギス料理も作りました。羊肉と内臓をシチューのようにジャガイモと煮た料理や、でっかい蒸し餃子のようなマンティを作ったりしました。毎回のように「もっと食べなさい、もっと食べなさい」とすすめてくれるチャナラ母さん。

家の暖房システムはセントラルヒーティングのような仕組みになっていました。薪を使ってストーブに火をくべ料理をしたりお茶を沸かしたりし、その余熱がパイプを通って家中を温めます。家の中にいる時は基本このパイプの近くに座るのがお決まり。

トイレは家の外にありました。地面に深い穴を掘って、周りをトタン板で囲った簡易なものです。季節が真冬だったので、毎回かなり寒い中で用を足していました。特に毎日お茶をかなり飲むせいで、真夜中に目が覚めてトイレに行きたくなるのは最悪でした。

星がすごくきれいに見えるのですが、寒くてのんびり楽しんでいる余裕などありません。

家にはシャワーの設備はなく、体をきれいにするときは村の公共モンチョ(ロシア式サウナ)に行くのが普通でした。気候が乾いた気候なので毎回お風呂に入ったり、シャワーを浴びる必要はありません。1週間に1度のモンチョで十分。

村のモンチョは曜日によって男と女の順番が決まっていました。サウナ室で体の不純物を取り除き、体をゴシゴシ。それを何度か繰り返し、ビックリするほど丁寧に洗います。伝統的な方法なのか、石を使って体を洗っている人もいました。


あまりの寒さに洗濯物を日中に干しているにも関わらず、凍ってパリパリになってカチンコチンになります。冷たすぎて乾いているのか、乾いていないのかもよくわからない。

村には2週間ほど滞在していたので、その間家畜の世話を手伝ったり、村人の家に遊びに行ったり、唯一ある学校を訪れたり、キルギスタンの田舎村ならではの生活を楽しませてもらいました。

外国人が村にいるぞーと珍しがられ、色んな人の家にお邪魔させてもらいました。村の子供たちとも仲良くなり、ある雪が積もった日には家までわざわざ来てくれ「これからソリで滑りに行くから一緒に行こう」誘ってくれたり。

村の外には雄大な自然が

カラス村のすぐ外には雄大な自然が広がっています。村から南方向に歩いてみると、そこには透き通った川が流れ、巨大な山が眼前にそびえたつ美しい風景。しかし一方で真冬の冷たい風が体に吹きつけ、極寒の地に住む自然の厳しさも感じます。

そんな極寒の中、わずかな草を求めて歩き回る馬や牛の姿。そして何と野生なのか家畜なのかは不明ですが、ラクダまで歩き回っています。ラクダってこんな寒い場所でも大丈夫なんですね。そういえばモンゴルにもラクダはいたな。

そして村の共同墓地を小高い丘の上に発見しました。広々とした敷地に建物のようなお墓があり、日本の墓地とは全く異なっています。村の反対側にもお墓がありましたが、そこには顔写真の入った墓標があり、こことはまた違った様子でした。これは少し古い時代のお墓なのでしょうか?

そうか。おそらくはソビエト時代よりも前のお墓かもしれません。お墓のデザインもイスラム風であるし。共産主義時代に宗教は弾圧された歴史があるはずだから。

家畜が放牧されているということは、彼らをコントロールする人々もまた極寒の中で働いています。家畜の放牧は当番制になっており、早朝担当者が各家を周り、村中の家畜を集めて放牧しにいきます。そして夕方になると村に戻り、各家に家畜を戻します。

キルギスの小さな子供たちは、馬やロバを乗りこなすなんて当たり前。お父さんの仕事を手伝いに来たようです。

村の北側には乾燥した丸みを帯びた丘が広がっています。家畜の栄養となるような草などほとんど生えていないように思えるのですが、彼らは一体何を食べているんだろう?

パウダーのような雪がうっすらと地面を覆い、美しい紋様を作り出します。季節が変われば、ここも緑に溢れた風景に変わるのでしょうか?

おわりに

キルギスタン滞在の最後に田舎での暮らしが体験できて良かったです。厳しい土地や僻地と呼ばれる場所に住む人々に共通しているのは、旅人を温かく迎えてくれるという文化。

ここキルギスタンでは、はるか昔シルクロードを多くのキャラバンや旅人が通っていた時代からの文化が今でも残っているのかもしれません。

次は厳しい冬ではなく、温かく恵みに溢れた夏にまた再訪してみたいです。

旅の続きはこちら、

ただの旅人なのにVIP待遇を受けながら、キルギスタン→カザフスタン経由→ウズベキスタンへ

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